世界各国のギャンブル史について

世界には、スポーツベッティングや宝くじなど、限られたギャンブルのみを受け入れている国もあれば、ギャンブル文化を全面的に受け入れ、大規模なカジノリゾートを展開している国もあります。時が経つにつれ、ギャンブル文化は変化し、人々は見慣れないゲームに挑戦したり、他の地域のプレイヤーと一緒にギャンブルをしたりできるようになりました。

当記事では、アメリカ、オーストラリア、イングランド、日本のギャンブルの歴史について解説していきたいと思います。それでは一緒に見ていきましょう。

アメリカ

かつてピューリタンは、アメリカにおいて、いかなる形式のギャンブルも認めようとはしませんでしたが、他の入植者は違いました。実際に、様々な種類のギャンブルが、あちこちで行われており、少なくとも男性はギャンブルを肯定的に捉えていました。

闘鶏のような紳士的ではない賭けは行われませんでしたが、その他のギャンブルゲームは人気でした。宝くじは政府の資金調達や、経済的に苦しい状況に陥った植民地を支援するための手段の一つとなっていました。

アメリカが独立宣言をする以前は、英国王室が宝くじを統括していましたが、1800年代以降、アメリカの多くの州では、すべてのギャンブル行為が禁止されました。しかし、世界恐慌がきっかけとなり、多くの州で再びギャンブルが解禁されました。

オーストラリア

 

アメリカ人と同様に、オーストラリア人も様々な形でギャンブルを嗜んでいます。2010年のある調査によると、成人オーストラリア人の約70%が少なくとも年に1回はギャンブルをしているとのことです。特に人気なのは、スクラッチと宝くじです。

その他、スロットやテーブルゲームを楽しむ人もいます。また、オンライン・ギャンブルも人気の娯楽となっています。事実、パワーハウスミュージアムでは、オーストラリア人にとってのギャンブルを、「日常生活における最も特殊な要素の1つ」であると説明しています。

現在、オーストラリア全土に無数のカジノが点在しています。バーやレストランなどには、ポーカーマシン、いわゆる「ポーキー」が設置されています。カジノのオーナーは、ポーキーを設置する前にライセンスを取得する必要があります。

1700年代以降、オーストラリアのギャンブル文化は大きく変化してきましたが、それは文化的な価値観の変化に触発された結果でした。競馬は、オーストラリアで人気を博した初期の賭け事の一つでした。

イングランド 

イングランドにおけるギャンブルの歴史は、オーストラリアやアメリカのものよりもはるかに長いです。トランプやサイコロなどを用いたギャンブルゲームは、サイコロの目などの結果を予測できると信じていたことから生まれました。そのため多くの宗教では、儀式の中にギャンブルゲームを取り入れていたのです。

中世になると、イギリスには、いくつかのギャンブルが存在していました。その中には、技術や賭け金を必要としない、偶然の要素を含むゲームもありました。しかし、そのようなゲームにおいてもプレイヤーは、ゲームや対戦相手を分析する必要がありました。1569年、エリザベス女王は、公の場で初めてベッティングを導入しました。賞品には軽犯罪に対する免罪符と5,000ポンドが含まれていました。

日本 

日本では、いかなる形態のギャンブルも禁止されています。しかし、国民の多くがパチンコ店に足を運ぶ習慣があります。パチンコは娯楽として唯一のギャンブルでもあります。パチンコはピンボールに似ていますが、複数の玉を使います。できるだけ多くの玉を獲得し、賞品と交換するのです。

パチンコ店は日本に莫大な利益をもたらしており、自動車産業の収益の2倍にもなります。しかし、(表面的には)プレイヤーがお金目当てでプレイするわけではないという点において、他のギャンブルとは一線を画しています。